大井第二小学校40周年の話

今日は、朝活動の時間に、大井第二小学校がどうして、どうやって誕生したのかについて、話をしました。

緑いっぱいのすてきな大井第二小学校ができて、40年たちます。では、どうして、どうやって大井第二小学校ができたのでしょうか。

40年前、大井町に住む小学生は、みんな大井小学校に通っていました。そのころの大井小学校は、40学級あり、1500人ぐらいの子供がいました。校長先生が大井小学校に通っていた時にも、1学級45人、学年は5クラスありました。そのころから、マンモス学校と言われていました。

子供が多すぎて、行事や勉強をすることが難しくなり、1500人の中の704人が大井第二小学校へ通うようになりました。今年度は、全校児童413人ですから、人数が少なくなりましたね。

これが、そのころの大井第二小学校です。今との違いが分かりますか。

そうです。今のような校庭のすてきな木はありませんでした。玄関前の噴水もありませんでした。ひょうたん島も、遊具もありませんでした。大井小学校から仲のよかった友達と別れてきた子供たちは、きっと大井小の校舎や遊具や友達がなつかしかったのではないでしょうか。

だから、6年生を中心に、新しい学校をつくっていこうと、がんばりました。大井第二小学校の校訓、かしこく、なかよく、たくましくは、世のため人のために勉強に励もう、優しい心をもとう、健康な体をつくろうという願いが込められています。

中庭に花を植えました。噴水ができました。噴水にある塔の名前を子供たちから募集して、「躍進の塔」と名付けられました。一度壊れてしまい、今ある噴水は、新しく作り替えた噴水です。

 

ふるさとの森ができたのは、今から20年前です。運動場は、木を植えても、20年間、ぜんぜん育ちませんでした。土を入れ替えたり、植える木をいろいろとためしたりしました。子供たちも、グリーンマークを集めて、木と交換する活動をしていたそうです。

そうして、やっと、今のようなすてきな木が育つようになりました。先生や子供たちで土を運び、ひょうたん島もできました。大井小には、「たぬきのはらやま」があったので、大井小から分かれてきた子供たちは、ひょうたん島ができて、本当にうれしかったと思います。

大井第二小学校のことが、少しは分かりましたか。さて、大井第二小学校は、5年後、10年後、  20年後、どんな学校になっているでしょうか。それをつくるのは、みなさんです。未来の大井第二小をどんな学校にしたいですか。

明日は、40周年を記念して、ドローンで40年たった校舎と、今、この校舎で勉強しているみんなを写します。よい日になるといいですね。


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